Bipolar Butterfly 翔ぶ。

双極性障害II型のわたしが、手探りで生きる半径500メートルの日常

双極性障害と生きてきた、生きている、生きていく 2(未診断で生きた時間 pt. 2 -仮-)

さて前回は、おそらく私の最初の双極性障害エピソードと思われるものについてお話しし、今回は続きとして、小中高時代のことを書こうと思っていたのですが…

 

ここで文章にしようとした時に、これらの時代の自分の傷が、まだまだ全然「生」だった、と気がつきました。

 

これまでの道のりは辛いものでしたが、障害と折り合いをつけながら、なんとか穏やかに暮らしている今、昔の話も、多少はさらりからりと語れるだろうと思っていのですが、これがなかなかに難しかったのです。(それで pt. 1 からひと月近くもごにゃごにゃしてしまいました)

 

ブログにまとめるために、記憶を辿りながらノートを作っていったのですが、

 

「開かずの間の奥にあった古いつづらを開けたら、妖怪がいっぱい出てきた」

「それらの妖怪は、見るも無残に傷だらけで、しかもよく見たら全部昔の自分だった」

 

みたいな状態になってしまいました。

 

実はまだまだ、不特定多数の方に向けてオープンに語れる部分じゃなかったようです。

 

私はしばらく前に、「過去は変えられないから、悲しかったこと、苦しかったこと、悔しかったことを考えるのはそこそこにして、今と、今から先を見たほうがいい」と思いきってから、昔のことはあまり考えずにきたのですが、これらの「全く未解決だった案件」と、まずはひとりでじっくり取り組んでみようとおもいました。

 

不思議なことに今回、

「いやあ、なかなかの生傷っぷりだね。まだ血も出てるし、肉見えてるし」

と、自分のことなのに他人ごとのように思い、いっそなんだか新鮮な気持ちすら感じました。

 

ということは、少なくとも多少の客観性は獲得していると思われるので、自分の傷をできるだけ冷静に精査して、整理してみて、また時が来たら「未診断で生きた時間 小中高編」を書きたいなあと思います。

 

今回文章にするのはしんどかったのですが、心理療法を受ける中で作ったコラージュを替わりにシェアしたいと思います。

 

もう10年以上前のものなので、心理療法士さんからの指示がどんなものだったか、正確には覚えていないのですが、

 

「これまでのあなたの苦しみや悲しみを、コラージュでアートにしてみて」

 

といった感じのお題で作ったものです。もしよかったらご覧ください。

 

次回は、大学時代のことを書きたいと思います。

 

(つづく)

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全体はこんな感じ

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左1/3 クロースアップ

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真ん中

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右側

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双極性障害と生きてきた、生きている、生きていく 1 (未診断で生きた時間 pt. 1)

双極性障害と生きてきた、生きている、生きていく」。どこから始めようかとしばらく逡巡しましたが、まずは、双極性障害の診断が下りるまで、どのような経過をたどってきたのかをお話ししようと思います。

 

まず最初に双極性障害の発症ですが、まだはっきりしていないものの、基本的に遺伝要因が大半で、そこに環境要因が絡むとされているようです。もともと双極性障害になりやすい遺伝子を持つ人が、生活の大きな変化やショックを受ける出来事など、なんらかのイベントが引き金になって発症するというメカニズムだそうです。

 

そう考えて振り返ると、自分が記憶している限りで、「あれが私の発症のきっかけだったのではないか」と思う出来事は、子供の時の引越しです。

 

都会から田舎へ。共同住宅から一軒家へ。ずっと一緒に育った同年代の友達と別れ、誰も知る人のいない所へ。距離も大きく、環境の変化も大きい転居でした。

 

住む場所が大きく広くなることで喜ぶ子供もいると思いますが、私は、部屋が広くて怖い、天井が高くて怖い、トイレすらも広くて怖い、と思い、新しい家で、なんだかいつもソワソワビクビクしていたのを覚えています。

 

転居先では初めて私室が与えられ、ひとりで就寝することになったのですが、夜はベッドに仰向けになり、心細い気持ちで天井を見上げながら、前の家に帰りたい、友達と会いたいと思いながら涙を流し、そのまま泣き疲れて寝る、という日々が続きました。

 

あれからうん十年という時間が経っているのに、その当時の記憶は、断片的ではあるものの、とても鮮明で、何かのきっかけで蘇ると、体調によっては、いまだに涙が出ることもあるくらいです。

 

その頃、子供ながらに感じていたのが、不穏なものがすうーっと細い煙になって自分の内側に入ってくるような「嫌な感じ」と、胸の真ん中がすーっと冷えていくような「リアルな冷感」でした。

 

障害を知って付き合っている今の私からみれば、自分の典型的なうつ転の兆候だし、症状だよね、と思いますが、その頃の私の語彙に「うつ」なんていう言葉は当然ありませんし、両親にも、いっそ当時の社会全体にも、子供がうつになるという認識すらなかったんじゃないかと思います。新しい環境に慣れるにしたがって元気を取り戻したこともあり、「環境の変化による一時的な落ち込みで、当然のこと。元気になってよかった」くらいのもので、問題視はされませんでした。

 

しかし、この時を境に、これらの「嫌な感じ」と「冷感」を伴う「うつ期」(と認識するようになるのはもっとずっと後のことですが)は、「招いていないし、歓迎もしないのに、ふらりとやって来て居座る正体不明の常連客」として、私の人生に何度も現れるようになります。

 

思ったより長くなりそうなのでここまでをパート1にして、次回は小学生〜高校生ぐらいまでの話を書いてみますね。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

双極性障害と生きてきた、生きている、生きていく 0(ゼロ)

Bipolar Butterfly (バイポーラ バタフライ)です。

 

私がアメリカで「双極性障害II型」の診断を受けてから、ちょうど13年。

それ以前は、もっと長い未診断の時間を、気分の上がり下がりと、それに伴う生きづらさを抱えて、じたばたしながら生きていました。

 

診断が下り、治療が始まってからも、なかなか一筋縄ではいかず、10年以上、何度も「寛解」と「再発」を繰り返してきましたが、ここちょうど2年くらいは、非常に安定した寛解期を過ごしています。(とはいえもちろん、薬を飲みながら、生活を管理しながらですが)

 

ちなみに現在は日本在住で、これまでほとんどの治療を受けてきたのも日本でです。

 

さて、私はアメリカで刊行されている bp Magazine という、双極性障害に特化した雑誌を定期購読しています。

 

この雑誌には、双極性障害に関する最新研究を取り上げる記事や、症状や気分や行動をどう管理するかという特集記事、同じ障害を持つ様々な人の人生の物語(市井の人も、有名人も)などが掲載されていて、私は毎号心待ちにして読んでいるのですが、特に「仲間」のストーリーから、いつも大きな力をもらいます。

 

最近はずいぶん風向きも変わってきましたが、メンタルヘルスに問題を抱えることを「スティグマ」と考える向きは、社会にも当事者にもまだ多いと感じますし、この障害に限らず、精神的な問題を公にしないことを選んでいる方も多い印象があります。

 

bp Magazine 最新号で、Netflix の 『アグリー・デリシャス』にも出演するアメリカの有名シェフ、デイビッド・チャンが特集されていましたが、彼も障害を公表するまでに葛藤があったことを語っていました。

 

私自身も、双極性障害のことを隠してはいませんが、大手をふって世界中に宣伝しているわけでもありません。

 

でも、雑誌で毎号毎号、自分と双極性障害との歴史を堂々と、いっそ大きな誇りを持ってシェアする仲間のストーリーに触れて、自分のこれまでの苦しみと相照らすことで「自分は一人ではない」と思えたり、障害と共存していく為のヒントをもらったり、勇気や感慨を受け取るなかで、私も自分の体験を分かち合いたいという気持ちが出てくるようになりました。

 

私がただのたうちまわって生きてきた日々の話も、もしかしたら、この世界のどこかで、誰かの慰めや共感のもとになったら素敵やな、と思って。

 

どこから始める?と悩んでますが、そんな訳で、私とバイポーラの話を始めていきたいと思います。

 

(つづく)

 

 

 

#がアホほどつく人生は(自己紹介)

初めまして。Bipolar Butterfly (バイポーラ バタフライ)と申します。

 

人は誰しも、各々の人格の中に、いろいろな面を内包して生きているわけですが、私も私なりに、様々なハッシュタグがつく人生を送っております。

 

一番最初に自分につけるハッシュタグってなんやろな?と考える時、やっぱり出てくるのが、

双極性障害II型

です。

子供の頃から生きづらさに苦しみ、紆余曲折の末、診断が下りてから、ちょうど13年になります。

 

まず一番に障害がアイデンティティになることの是非はあると思いますが、まずこの障害のコントロールありきで生きてるんで、これは私の正直な自己認識。

Bipolar Butterfly という名も、 bipolar disorder (双極性障害)はしんどいけど、それでも軽やかに、自分のできる範囲で、butterfly のように楽しく翔びたいわあという思いで考えました。

 

さて、その気分が循環する病のおかげか、そこに生来の性格も加わっているのか知りませんが、わりと変化多めの人生を送ってきました。

タグつきでご紹介すると、ライフイベントでいえば、ざっと以下のような感じ。

 

”引越 #転校 すること複数回で、アップルーティングを子供の頃から何度も経験し、

#転職 もやはり複数回で、いろんな仕事をしてきたし、

#国際結婚 と #国際離婚 もしたし、

#海外生活経験者  で、3つの外国で生活もしたし、

#京都暮らし をはじめ、日本でもそこそこいろいろな場所に住んだし、

#再婚 もしたし、

#ステップマザー として、夫の子を一緒に育てるチャンスをもらえたし、

#義母と同居 から飛び出して、

別居婚 というか #週末婚 に落ち着いた(イマココ)。

 

ブログには、そういった今まで体験してきたことについても書いてみたいし、

 

#英語話者 #元TOEIC講師 #TOEIC満点 とか、

インドネシア語専攻 #中国語学習 #韓国語学習 なんかの「言語学習記」系から、

 

占星術 #料理 #キルタン などの、「かなり気合を入れている趣味の雑記」類から、

 

#元ヨガ講師 #元タイ古式セラピスト などの「昔取った杵柄記」類、

 

#台湾大好き #タイ大好き を主とする「海外旅行雑記」系、

 

#ギターやりたい #夢は弾き語りツアー などの「今後の野望」群などなど…

 

 

まあまあのとっちらかり具合な私の中身を、機会折々、四季折々に引っ張り出しては、チラシの裏感覚で自由に書いてみたいな、と思っております。

 

なんと言っても、病に負けずに安定して生きるために、「いろいろ無理しない」を大前提に、日々のをかしきこと、あはれなること、よしなしごとを、ゆるゆる綴るなかで(#憧れは清少納言吉田兼好)、いつかどこかで誰かのお役に立つ何かを発信できたらいいな、というのが願いです。

 

##がアホほどつく人生はそこそこいい人生だと思う

#でもやたらタグつける奴はなんとなく腹が立つ