Bipolar Butterfly 翔ぶ。

双極性障害II型のわたしが、手探りで生きる半径500メートルの日常

双極性障害と生きてきた、生きている、生きていく 1 (未診断で生きた時間 pt. 1)

双極性障害と生きてきた、生きている、生きていく」。どこから始めようかとしばらく逡巡しましたが、まずは、双極性障害の診断が下りるまで、どのような経過をたどってきたのかをお話ししようと思います。

 

まず最初に双極性障害の発症ですが、まだはっきりしていないものの、基本的に遺伝要因が大半で、そこに環境要因が絡むとされているようです。もともと双極性障害になりやすい遺伝子を持つ人が、生活の大きな変化やショックを受ける出来事など、なんらかのイベントが引き金になって発症するというメカニズムだそうです。

 

そう考えて振り返ると、自分が記憶している限りで、「あれが私の発症のきっかけだったのではないか」と思う出来事は、子供の時の引越しです。

 

都会から田舎へ。共同住宅から一軒家へ。ずっと一緒に育った同年代の友達と別れ、誰も知る人のいない所へ。距離も大きく、環境の変化も大きい転居でした。

 

住む場所が大きく広くなることで喜ぶ子供もいると思いますが、私は、部屋が広くて怖い、天井が高くて怖い、トイレすらも広くて怖い、と思い、新しい家で、なんだかいつもソワソワビクビクしていたのを覚えています。

 

転居先では初めて私室が与えられ、ひとりで就寝することになったのですが、夜はベッドに仰向けになり、心細い気持ちで天井を見上げながら、前の家に帰りたい、友達と会いたいと思いながら涙を流し、そのまま泣き疲れて寝る、という日々が続きました。

 

あれからうん十年という時間が経っているのに、その当時の記憶は、断片的ではあるものの、とても鮮明で、何かのきっかけで蘇ると、体調によっては、いまだに涙が出ることもあるくらいです。

 

その頃、子供ながらに感じていたのが、不穏なものがすうーっと細い煙になって自分の内側に入ってくるような「嫌な感じ」と、胸の真ん中がすーっと冷えていくような「リアルな冷感」でした。

 

障害を知って付き合っている今の私からみれば、自分の典型的なうつ転の兆候だし、症状だよね、と思いますが、その頃の私の語彙に「うつ」なんていう言葉は当然ありませんし、両親にも、いっそ当時の社会全体にも、子供がうつになるという認識すらなかったんじゃないかと思います。新しい環境に慣れるにしたがって元気を取り戻したこともあり、「環境の変化による一時的な落ち込みで、当然のこと。元気になってよかった」くらいのもので、問題視はされませんでした。

 

しかし、この時を境に、これらの「嫌な感じ」と「冷感」を伴う「うつ期」(と認識するようになるのはもっとずっと後のことですが)は、「招いていないし、歓迎もしないのに、ふらりとやって来て居座る正体不明の常連客」として、私の人生に何度も現れるようになります。

 

思ったより長くなりそうなのでここまでをパート1にして、次回は小学生〜高校生ぐらいまでの話を書いてみますね。

 

(つづく)