双極性障害と生きてきた、生きている、生きていく 2(未診断で生きた時間 pt. 2 -仮-)
さて前回は、おそらく私の最初の双極性障害エピソードと思われるものについてお話しし、今回は続きとして、小中高時代のことを書こうと思っていたのですが…
ここで文章にしようとした時に、これらの時代の自分の傷が、まだまだ全然「生」だった、と気がつきました。
これまでの道のりは辛いものでしたが、障害と折り合いをつけながら、なんとか穏やかに暮らしている今、昔の話も、多少はさらりからりと語れるだろうと思っていのですが、これがなかなかに難しかったのです。(それで pt. 1 からひと月近くもごにゃごにゃしてしまいました)
ブログにまとめるために、記憶を辿りながらノートを作っていったのですが、
「開かずの間の奥にあった古いつづらを開けたら、妖怪がいっぱい出てきた」
「それらの妖怪は、見るも無残に傷だらけで、しかもよく見たら全部昔の自分だった」
みたいな状態になってしまいました。
実はまだまだ、不特定多数の方に向けてオープンに語れる部分じゃなかったようです。
私はしばらく前に、「過去は変えられないから、悲しかったこと、苦しかったこと、悔しかったことを考えるのはそこそこにして、今と、今から先を見たほうがいい」と思いきってから、昔のことはあまり考えずにきたのですが、これらの「全く未解決だった案件」と、まずはひとりでじっくり取り組んでみようとおもいました。
不思議なことに今回、
「いやあ、なかなかの生傷っぷりだね。まだ血も出てるし、肉見えてるし」
と、自分のことなのに他人ごとのように思い、いっそなんだか新鮮な気持ちすら感じました。
ということは、少なくとも多少の客観性は獲得していると思われるので、自分の傷をできるだけ冷静に精査して、整理してみて、また時が来たら「未診断で生きた時間 小中高編」を書きたいなあと思います。
今回文章にするのはしんどかったのですが、心理療法を受ける中で作ったコラージュを替わりにシェアしたいと思います。
もう10年以上前のものなので、心理療法士さんからの指示がどんなものだったか、正確には覚えていないのですが、
「これまでのあなたの苦しみや悲しみを、コラージュでアートにしてみて」
といった感じのお題で作ったものです。もしよかったらご覧ください。
次回は、大学時代のことを書きたいと思います。
(つづく)